2022年02月18日 (17:38)
川合正樹さんがR3「二宮文化賞」に輝く【日本的な焼きものを】
土岐市教育委員会は、陶芸家の川合正樹さん
(土岐市駄知町・72歳・かわいまさき)に、
令和3(2021)年度「二宮文化賞」を贈った。
土岐市文化プラザ(土岐津町土岐口)で、
授賞式を開き、山田恭正教育長が、
賞状と副賞を手渡した。
授賞式終了後には、土岐市役所で、
市長報告会が開かれ、川合正樹さんが、
加藤淳司市長に、受賞の喜びを語った。






二宮文化賞は、初代土岐市長を務めた、
故・二宮安徳氏の遺徳をしのび、制定されたもの。
土岐市の教育文化に、大きく貢献した人に贈られる。
昭和62(1987)年から始まり、
本年度で36回目。



駄知町出身・在住の川合正樹さんは、
昭和58(1983)年に、日展に初入選。
以降、日展入選は34回を数える。
土岐市織部の日実行委員や、
公益財団法人土岐市文化振興事業団評議員などを歴任。
現在は、土岐市陶芸協会の会長を務め、
土岐市の陶芸界のリーダーとして、活躍している。
川合正樹さんが営む「樹窯」(たつきがま)のサイトへ。






川合正樹さんは「22歳ごろ、
土岐市職員の試験を受けた際、二宮安徳市長から、
『市職員になりたいか』と尋ねられたが、
『陶芸家になりたい』と断ってしまった。
現在98歳の母親に『せっかく誘っていただいたのに、
断るなんて、もったいない』と、ひどくしかられた。
今回、二宮文化賞をいただけたことで、
二宮市長の恩に報いることができたし、
母親に対しても、胸を張って報告ができる。
陶芸家になったころは、ほかの陶芸家の技法が、
良く見えてしまい、迷いがあった。
しかし、『中国のまねではなく、
日本の焼きものを作りなさい』という、
加藤唐九郎先生の言葉を思い出し、
50歳になってからは、迷いが無くなった。
今後も、日本人が好む色、
日本人の感性に合う作品を作り、
灰釉の第一人者になれるように、
さらなる飛躍がしたい」と語った。






(土岐市駄知町・72歳・かわいまさき)に、
令和3(2021)年度「二宮文化賞」を贈った。
土岐市文化プラザ(土岐津町土岐口)で、
授賞式を開き、山田恭正教育長が、
賞状と副賞を手渡した。
授賞式終了後には、土岐市役所で、
市長報告会が開かれ、川合正樹さんが、
加藤淳司市長に、受賞の喜びを語った。






二宮文化賞は、初代土岐市長を務めた、
故・二宮安徳氏の遺徳をしのび、制定されたもの。
土岐市の教育文化に、大きく貢献した人に贈られる。
昭和62(1987)年から始まり、
本年度で36回目。



駄知町出身・在住の川合正樹さんは、
昭和58(1983)年に、日展に初入選。
以降、日展入選は34回を数える。
土岐市織部の日実行委員や、
公益財団法人土岐市文化振興事業団評議員などを歴任。
現在は、土岐市陶芸協会の会長を務め、
土岐市の陶芸界のリーダーとして、活躍している。
川合正樹さんが営む「樹窯」(たつきがま)のサイトへ。






川合正樹さんは「22歳ごろ、
土岐市職員の試験を受けた際、二宮安徳市長から、
『市職員になりたいか』と尋ねられたが、
『陶芸家になりたい』と断ってしまった。
現在98歳の母親に『せっかく誘っていただいたのに、
断るなんて、もったいない』と、ひどくしかられた。
今回、二宮文化賞をいただけたことで、
二宮市長の恩に報いることができたし、
母親に対しても、胸を張って報告ができる。
陶芸家になったころは、ほかの陶芸家の技法が、
良く見えてしまい、迷いがあった。
しかし、『中国のまねではなく、
日本の焼きものを作りなさい』という、
加藤唐九郎先生の言葉を思い出し、
50歳になってからは、迷いが無くなった。
今後も、日本人が好む色、
日本人の感性に合う作品を作り、
灰釉の第一人者になれるように、
さらなる飛躍がしたい」と語った。






