2022年05月13日 (12:36)
瑞浪市が酒波神社の銅鏡1面を買い戻す【所在不明の出土品】
瑞浪市は、大正時代に、瑞浪市日吉町の
酒波神社(さかなみじんじゃ)から出土し、
所在不明となっていた銅鏡1面を、
名古屋市昭和区の古物商から購入。
瑞浪市陶磁資料館(明世町山野内)で、
5月13日(金曜日)から、
6月12日(日曜日)まで展示する。






考古学者で民俗学者の故・林魁一氏
(1875~1961・はやしかいいち)が、
昭和7(1932)年に記した、
「美濃國土岐郡日吉村經塚及び發見遺物」
(考古学雑誌・第22巻・第9号)によると、
酒波神社の境内、本殿裏手の塚に、
経典を埋めた「経塚」(きょうづか)があり、
大正時代に発掘したところ、鏡や壺(つぼ)、
古銭、短刀(刀子)などが見付かったという。



鏡については、5面あったとされるが、
林魁一氏が書いた昭和7(1932)年の時点で、
既に2面が所在不明となっていた。
林氏は、残りの3面について、拓本をとっており、
今回の購入品は、そのうちの1面と、
同じ物であることが確認できた。






鑑定は、瑞浪市文化財審議会で行われ、
鏡の専門家・久保智康さんが臨時委員として参加。
瑞浪市文化財審議会では、
①直径が9・1センチ、最大厚は0・5センチ、
重量は46・3グラム。
②約800年前の平安時代末期から鎌倉時代初期
(12世紀末~13世紀前半)に制作。
③背面の文様から、「洲浜山吹双鳥鏡」
(すはまやまぶきそうちょうきょう)と命名。
など、本物と判断し、
購入価格55万円(税込み)も妥当とした。




なお、酒波神社の経塚からの出土品については、
今回、瑞浪市が購入した鏡1面のほか、
「和鏡」(わきょう)1面が、
土岐市の文化財(工芸品)に指定されている。
この和鏡については、土岐市教育委員会が、
発行した冊子「土岐市の文化財」に、
「酒波神社の経塚から発掘」と明記してあり、
林魁一氏が残した拓本の鏡1面と、合致している。
ただし、残りの鏡3面をはじめ、そのほかの出土品、
壺・刀子・古銭などは、逸したままとなっており、
瑞浪市は情報提供を呼び掛けている。




問い合わせは、瑞浪市陶磁資料館
(TEL0572─67─2506)まで。
酒波神社(さかなみじんじゃ)から出土し、
所在不明となっていた銅鏡1面を、
名古屋市昭和区の古物商から購入。
瑞浪市陶磁資料館(明世町山野内)で、
5月13日(金曜日)から、
6月12日(日曜日)まで展示する。






考古学者で民俗学者の故・林魁一氏
(1875~1961・はやしかいいち)が、
昭和7(1932)年に記した、
「美濃國土岐郡日吉村經塚及び發見遺物」
(考古学雑誌・第22巻・第9号)によると、
酒波神社の境内、本殿裏手の塚に、
経典を埋めた「経塚」(きょうづか)があり、
大正時代に発掘したところ、鏡や壺(つぼ)、
古銭、短刀(刀子)などが見付かったという。



鏡については、5面あったとされるが、
林魁一氏が書いた昭和7(1932)年の時点で、
既に2面が所在不明となっていた。
林氏は、残りの3面について、拓本をとっており、
今回の購入品は、そのうちの1面と、
同じ物であることが確認できた。






鑑定は、瑞浪市文化財審議会で行われ、
鏡の専門家・久保智康さんが臨時委員として参加。
瑞浪市文化財審議会では、
①直径が9・1センチ、最大厚は0・5センチ、
重量は46・3グラム。
②約800年前の平安時代末期から鎌倉時代初期
(12世紀末~13世紀前半)に制作。
③背面の文様から、「洲浜山吹双鳥鏡」
(すはまやまぶきそうちょうきょう)と命名。
など、本物と判断し、
購入価格55万円(税込み)も妥当とした。




なお、酒波神社の経塚からの出土品については、
今回、瑞浪市が購入した鏡1面のほか、
「和鏡」(わきょう)1面が、
土岐市の文化財(工芸品)に指定されている。
この和鏡については、土岐市教育委員会が、
発行した冊子「土岐市の文化財」に、
「酒波神社の経塚から発掘」と明記してあり、
林魁一氏が残した拓本の鏡1面と、合致している。
ただし、残りの鏡3面をはじめ、そのほかの出土品、
壺・刀子・古銭などは、逸したままとなっており、
瑞浪市は情報提供を呼び掛けている。




問い合わせは、瑞浪市陶磁資料館
(TEL0572─67─2506)まで。
