2022年07月23日 (21:15)
佐藤製陶所の技巧の洋食器を展覧【佐藤陶藝が瑞浪市に寄贈】
企画展「技巧の洋食器 Sato Art China」が、
本日、7月23日(土曜日)から、
瑞浪市陶磁資料館(明世町山野内)で始まった。
会期は10月10日(月曜日・祝日)まで。



「Sato Art China」とは、
故・佐藤比良夫さん(ひらお・佐藤平鋪)・
故・佐藤鋿平さん(しょうへい)兄弟が、
昭和22(1947)年ごろに、
可児郡広見町(現・可児市平貝戸)で創業した、
佐藤製陶所の製品。
昭和20(1945)年代から、
昭和30(1955)年代に掛けては、
磁器製の洋食器を製造し、
アメリカやヨーロッパなどへ輸出した。



その特徴は、ひも状に加工した粘土を、
網目状に編み込んだ「網目磁器」と、
手づくね(手びねり)や型抜きで文様を作り、
器に貼り付ける装飾技法
「貼付文」(はりつけもん)
《または「貼花」(ちょうか)とも》。
なお、昭和40(1965)年代に入ると、
志野や黄瀬戸など、伝統工芸に製品を転換。
会社も、佐藤製陶所から、
現在の株式会社佐藤陶藝(佐藤陶芸)に、
改称・改組(法人化)した。



株式会社佐藤陶藝は、令和3(2021)年に、
佐藤製陶所時代に製造した、陶磁器168点と、
生産用具約30点を、瑞浪市に寄贈。
会場には、寄贈品のうち、陶磁器62点と、
生産用具16点を展示している。
※下の写真は、
佐藤公一郎社長と妻の佐藤双子さん(ふたこ)。



佐藤鋿平さんの息子で、
株式会社佐藤陶藝の佐藤公一郎代表取締役社長
(67歳・さとうこういちろう・
美濃焼伝統工芸士)は、
「可児市は、産業としての焼きものがなく、
磁器への関心が低い。
産業として、磁器を製造してきた瑞浪市なら、
理解力があり、宝として扱ってもらえると思い、
寄贈先に決めた。
あらためて寄贈品を見ると、
デザイン力・発想力ともに豊か。
また、戦後の復興に励もうとする、
時代の力強さも感じる。
簡単にはまねできず、尊敬できる」と語った。




問い合わせは、瑞浪市陶磁資料館
(TEL0572─67─2506)まで。
本日、7月23日(土曜日)から、
瑞浪市陶磁資料館(明世町山野内)で始まった。
会期は10月10日(月曜日・祝日)まで。



「Sato Art China」とは、
故・佐藤比良夫さん(ひらお・佐藤平鋪)・
故・佐藤鋿平さん(しょうへい)兄弟が、
昭和22(1947)年ごろに、
可児郡広見町(現・可児市平貝戸)で創業した、
佐藤製陶所の製品。
昭和20(1945)年代から、
昭和30(1955)年代に掛けては、
磁器製の洋食器を製造し、
アメリカやヨーロッパなどへ輸出した。



その特徴は、ひも状に加工した粘土を、
網目状に編み込んだ「網目磁器」と、
手づくね(手びねり)や型抜きで文様を作り、
器に貼り付ける装飾技法
「貼付文」(はりつけもん)
《または「貼花」(ちょうか)とも》。
なお、昭和40(1965)年代に入ると、
志野や黄瀬戸など、伝統工芸に製品を転換。
会社も、佐藤製陶所から、
現在の株式会社佐藤陶藝(佐藤陶芸)に、
改称・改組(法人化)した。



株式会社佐藤陶藝は、令和3(2021)年に、
佐藤製陶所時代に製造した、陶磁器168点と、
生産用具約30点を、瑞浪市に寄贈。
会場には、寄贈品のうち、陶磁器62点と、
生産用具16点を展示している。
※下の写真は、
佐藤公一郎社長と妻の佐藤双子さん(ふたこ)。



佐藤鋿平さんの息子で、
株式会社佐藤陶藝の佐藤公一郎代表取締役社長
(67歳・さとうこういちろう・
美濃焼伝統工芸士)は、
「可児市は、産業としての焼きものがなく、
磁器への関心が低い。
産業として、磁器を製造してきた瑞浪市なら、
理解力があり、宝として扱ってもらえると思い、
寄贈先に決めた。
あらためて寄贈品を見ると、
デザイン力・発想力ともに豊か。
また、戦後の復興に励もうとする、
時代の力強さも感じる。
簡単にはまねできず、尊敬できる」と語った。




問い合わせは、瑞浪市陶磁資料館
(TEL0572─67─2506)まで。
