2022年08月13日 (13:51)
中上良子のデザインをたどる【土岐市美濃陶磁歴史館で初の回顧展】
企画展「中上良子
陶磁器デザイナー・エマイユ作家として」が、
本日、8月13日(土曜日)から、
土岐市美濃陶磁歴史館(泉町久尻)で始まった。
会期は11月13日(日曜日)まで。
※敬称略。



陶磁器デザイナーで、
エマイユ(七宝)作家の故・中上良子
(1932─2005・なかがみよしこ)は、
現在の岐阜県高山市の出身。
画家の徳永富士子に洋画を学び、
岐阜県立高山高等学校を卒業すると、
「太洋陶園」(多治見市)に入社した。
太洋陶園で、絵付け作業に従事していた際、
陶磁器デザイナーの日根野作三
(1907─1984)に、芸術センスや、
絵画の才能を見いだされた。



日根野作三の紹介で、
土岐市下石町の「知山陶苑」へ移ると、
銅版転写のデザインに携わるようになった。
動植物や幾何学模様などをモチーフに、
繊細なデザインを考案すると、
銅板への彫りや腐食も、自分自身で行うことで、
線の強弱や手仕事感なども、表現していった。



陶磁器デザイナーとしての評価を得ると、
七宝のデザインも、求められるようになった。
図案を提供しているうちに、絵画的な七宝
「エマイユ」ならではの色彩に魅せられた。
エマイユ制作のすべてを手掛けるようになると、
陶磁器とエマイユを融合させるなど、
独自の世界を開いた。



日根野作三は、中上良子について、
「私は幾人かの女性デザイナーを見て来た。
女性は男性におとるものではないが、
陶ジキのDesignにおいて中上良子の様な
勝れた素質をもった女性は一人もなかった。
中上君は名声も欲しないし、
銭もうけにも淡白たる女性である。
下石(オロシ)の田舎に引こもって黙々と
自分の世界を開くことに自分の人生を
かけているのであろう」と評している。




問い合わせは、土岐市美濃陶磁歴史館
(TEL0572─55─1245)まで。



陶磁器デザイナー・エマイユ作家として」が、
本日、8月13日(土曜日)から、
土岐市美濃陶磁歴史館(泉町久尻)で始まった。
会期は11月13日(日曜日)まで。
※敬称略。



陶磁器デザイナーで、
エマイユ(七宝)作家の故・中上良子
(1932─2005・なかがみよしこ)は、
現在の岐阜県高山市の出身。
画家の徳永富士子に洋画を学び、
岐阜県立高山高等学校を卒業すると、
「太洋陶園」(多治見市)に入社した。
太洋陶園で、絵付け作業に従事していた際、
陶磁器デザイナーの日根野作三
(1907─1984)に、芸術センスや、
絵画の才能を見いだされた。



日根野作三の紹介で、
土岐市下石町の「知山陶苑」へ移ると、
銅版転写のデザインに携わるようになった。
動植物や幾何学模様などをモチーフに、
繊細なデザインを考案すると、
銅板への彫りや腐食も、自分自身で行うことで、
線の強弱や手仕事感なども、表現していった。



陶磁器デザイナーとしての評価を得ると、
七宝のデザインも、求められるようになった。
図案を提供しているうちに、絵画的な七宝
「エマイユ」ならではの色彩に魅せられた。
エマイユ制作のすべてを手掛けるようになると、
陶磁器とエマイユを融合させるなど、
独自の世界を開いた。



日根野作三は、中上良子について、
「私は幾人かの女性デザイナーを見て来た。
女性は男性におとるものではないが、
陶ジキのDesignにおいて中上良子の様な
勝れた素質をもった女性は一人もなかった。
中上君は名声も欲しないし、
銭もうけにも淡白たる女性である。
下石(オロシ)の田舎に引こもって黙々と
自分の世界を開くことに自分の人生を
かけているのであろう」と評している。




問い合わせは、土岐市美濃陶磁歴史館
(TEL0572─55─1245)まで。



