2023年09月17日 (19:14)
瑞浪市供養会が中国人殉難者を慰霊【化石山で日中不再戦を誓う】
昭和時代、地下軍需工場の建設で、
命を落とした中国人、39人を供養する慰霊祭が、
瑞浪市明世町の化石山(戸狩山)にある、
「日中不再戦の誓い」碑前で開かれた。






慰霊祭は「中国人殉難者瑞浪市供養会」
(河口東会長)が主催し、今年で57回目を迎えた。
太平洋戦争末期、化石山(戸狩山)の地下に、
飛行機工場(航空機工場)を建設するため、
地下壕(ごう)の掘削工事が、
昭和20(1945)年4月から、本格的に始まった。
瑞浪市供養会によると、中国人330人が連行され、
過酷な労働を強いられたという。






慰霊祭には、水野光二市長をはじめ、
小川祐輝県議や加藤輔之市議会議長、
駐名古屋中華人民共和国総領事館の
王冬領事(オウ・トウ)・
黄旭峰領事アタッシェ(コウ・キョクホウ)ら、
約50人が出席した。



中国人殉難者瑞浪市供養会の河口東会長
(瑞浪市上野町、75歳、かわぐち・あずま、
昭和23《1948》年8月生まれ)は、
「昭和12(1937)年の盧溝橋事件から、
侵略戦争は中国本土へと拡大していった。
そんな中、4万人にもおよぶ中国人が、
日本へ強制連行された。
そのうちの330人の中国人が、
地下工場を建設するため、瑞浪市に強制連行され、
過酷な強制労働の中、39人の中国人が犠牲となった。
このような悲惨な戦争は、2度とあってはいけません。
この慰霊碑のように、日中不再戦・日中友好、
そして世界の恒久平和に向かっていくことを、
ここに誓います。
安らかにお眠りください」と、哀悼の言葉を述べた。



水野光二市長は、
「39人の御霊(みたま)を思う時、
万感胸に迫り、誠に痛恨の極み。
戦争が引き起こした悲惨な過去を、
反省するとともに、平和への誓いを新たにした。
過去の戦争の悲惨さ・愚かさを心に刻み、
歴史を風化させることなく、
後世に語り継ぐことが、私たちの重要な使命。
世界の恒久平和の実現に向けて、努力したい。
日中両国が、未来志向の下、
さまざまな分野で、交流と相互理解を深めながら、
さらなる友好関係が、築かれることを願います。
こんにちの友好平和が、諸霊の尊い犠牲の上に、
支えられていることに思いをいたし、
御霊(みたま)の御冥福(ごめいふく)を、
心からお祈りいたします」と、追悼の言葉を述べた。



駐名古屋中華人民共和国総領事館の
王冬領事(オウ・トウ)は、
「この地で命を落とした同胞に対し、
心より深く哀悼の意を表します。
また、瑞浪市の皆様が、57年間にわたって、
私どもの同胞のために、
供養活動を続けられてきたことに対し、
敬意と感謝を申し上げます。
今年は、日中平和友好条約締結45周年の
節目の年にあたるが、今の日中関係は、
決して良いとは言えません。
今こそ、日中不再戦・日中友好および、
世界の恒久平和への誓いを、
次世代へ語り継ぐことは、
ますます重要になっている。
私たちは、民間の力、地方の力で、
両国関係の改善や発展のために、
新たな貢献をする必要があると思う。
ぜひ、瑞浪市の皆さんから、
お力添えとお知恵を賜りますよう、
お願い申し上げます」と、日本語で述べた。



僧侶2人が読経する中、参列者らは焼香を行い、
中国人殉難者の魂(たましい)を慰めた。
命を落とした中国人、39人を供養する慰霊祭が、
瑞浪市明世町の化石山(戸狩山)にある、
「日中不再戦の誓い」碑前で開かれた。






慰霊祭は「中国人殉難者瑞浪市供養会」
(河口東会長)が主催し、今年で57回目を迎えた。
太平洋戦争末期、化石山(戸狩山)の地下に、
飛行機工場(航空機工場)を建設するため、
地下壕(ごう)の掘削工事が、
昭和20(1945)年4月から、本格的に始まった。
瑞浪市供養会によると、中国人330人が連行され、
過酷な労働を強いられたという。






慰霊祭には、水野光二市長をはじめ、
小川祐輝県議や加藤輔之市議会議長、
駐名古屋中華人民共和国総領事館の
王冬領事(オウ・トウ)・
黄旭峰領事アタッシェ(コウ・キョクホウ)ら、
約50人が出席した。



中国人殉難者瑞浪市供養会の河口東会長
(瑞浪市上野町、75歳、かわぐち・あずま、
昭和23《1948》年8月生まれ)は、
「昭和12(1937)年の盧溝橋事件から、
侵略戦争は中国本土へと拡大していった。
そんな中、4万人にもおよぶ中国人が、
日本へ強制連行された。
そのうちの330人の中国人が、
地下工場を建設するため、瑞浪市に強制連行され、
過酷な強制労働の中、39人の中国人が犠牲となった。
このような悲惨な戦争は、2度とあってはいけません。
この慰霊碑のように、日中不再戦・日中友好、
そして世界の恒久平和に向かっていくことを、
ここに誓います。
安らかにお眠りください」と、哀悼の言葉を述べた。



水野光二市長は、
「39人の御霊(みたま)を思う時、
万感胸に迫り、誠に痛恨の極み。
戦争が引き起こした悲惨な過去を、
反省するとともに、平和への誓いを新たにした。
過去の戦争の悲惨さ・愚かさを心に刻み、
歴史を風化させることなく、
後世に語り継ぐことが、私たちの重要な使命。
世界の恒久平和の実現に向けて、努力したい。
日中両国が、未来志向の下、
さまざまな分野で、交流と相互理解を深めながら、
さらなる友好関係が、築かれることを願います。
こんにちの友好平和が、諸霊の尊い犠牲の上に、
支えられていることに思いをいたし、
御霊(みたま)の御冥福(ごめいふく)を、
心からお祈りいたします」と、追悼の言葉を述べた。



駐名古屋中華人民共和国総領事館の
王冬領事(オウ・トウ)は、
「この地で命を落とした同胞に対し、
心より深く哀悼の意を表します。
また、瑞浪市の皆様が、57年間にわたって、
私どもの同胞のために、
供養活動を続けられてきたことに対し、
敬意と感謝を申し上げます。
今年は、日中平和友好条約締結45周年の
節目の年にあたるが、今の日中関係は、
決して良いとは言えません。
今こそ、日中不再戦・日中友好および、
世界の恒久平和への誓いを、
次世代へ語り継ぐことは、
ますます重要になっている。
私たちは、民間の力、地方の力で、
両国関係の改善や発展のために、
新たな貢献をする必要があると思う。
ぜひ、瑞浪市の皆さんから、
お力添えとお知恵を賜りますよう、
お願い申し上げます」と、日本語で述べた。



僧侶2人が読経する中、参列者らは焼香を行い、
中国人殉難者の魂(たましい)を慰めた。
