2016年11月13日 (21:22)
瑞浪市が「第6回・戦没者追悼式」【今年から市単独主催に】
瑞浪市は、平成28年度
「第6回・瑞浪市戦没者追悼式」を、
瑞浪市市民福祉センター「ハートピア」
(瑞浪市樽上町)で開いた。
瑞浪市戦没者追悼式は、以前は、
瑞浪市遺族連合会(小栗基春会長)が、
主催してきた。
しかし、会員の高齢化が進み、
昨年、平成27(2015)年は、
瑞浪市との「共催」で実施。
今年、平成28(2016)年からは、
瑞浪市の単独主催とし、
瑞浪市遺族連合会は、
後援・協力という形に変わった。



瑞浪市遺族連合会は、
昭和29(1954)年に発足。
昭和43(1968)年から、
8月15日の終戦記念日には、
「神霊祭(みたままつり)」を、
4月20日には、「慰霊祭」を、
それぞれ行っていた。
ハートピア内には、護国神社があったが、
社殿を撤去し、「慰霊碑」を建立。
平成23(2011)年6月24日に、
除幕式を開いた。






平成23(2011)年から、
8月15日の終戦記念日に行っていた、
「神霊祭(みたままつり)」を、
「戦没者追悼式」とし、
4月20日に行っていた「慰霊祭」を、
11月に行う「戦没者追悼式」に、
それぞれ変更。
瑞浪市では現在、年2回、
「戦没者追悼式」が開かれている。
11月の戦没者追悼式としては、
今年で6回目。
慰霊碑には、
日露戦争から太平洋戦争に掛けて、
瑞浪市から出征し、犠牲になった、
1134人が、祭られている。






戦没者追悼式には、水野光二市長をはじめ、
山田実三県議や、熊谷隆男市議会議長、
自治会役員ら、約110人が列席。
黙とうをささげ、献花した。



4歳の時に、38歳だった父親を、
フィリピンのマニラで亡くした、
小栗基春会長(釜戸町、75歳)は、
「近年は、会員が高齢化したため、
式に出席できない人や、退会などにより、
会員数が減少してしまった。
戦没者追悼式の開催が、困難になったが、
瑞浪市のご配慮により、
式典が行われることになった。
水野光二市長をはじめ、関係者の方々に、
感謝を申し上げたい。
異国の地で、尊い命をささげられた、
戦没者の御霊(みたま)も、
安堵(あんど)されていると思う。
今なお諸外国で続いている戦争の絶滅と、
平和な世がいつまでも続くことを願うとともに、
御霊の御冥福(ごめいふく)を祈ります」と、
哀悼の意を表した。



「第6回・瑞浪市戦没者追悼式」を、
瑞浪市市民福祉センター「ハートピア」
(瑞浪市樽上町)で開いた。
瑞浪市戦没者追悼式は、以前は、
瑞浪市遺族連合会(小栗基春会長)が、
主催してきた。
しかし、会員の高齢化が進み、
昨年、平成27(2015)年は、
瑞浪市との「共催」で実施。
今年、平成28(2016)年からは、
瑞浪市の単独主催とし、
瑞浪市遺族連合会は、
後援・協力という形に変わった。



瑞浪市遺族連合会は、
昭和29(1954)年に発足。
昭和43(1968)年から、
8月15日の終戦記念日には、
「神霊祭(みたままつり)」を、
4月20日には、「慰霊祭」を、
それぞれ行っていた。
ハートピア内には、護国神社があったが、
社殿を撤去し、「慰霊碑」を建立。
平成23(2011)年6月24日に、
除幕式を開いた。






平成23(2011)年から、
8月15日の終戦記念日に行っていた、
「神霊祭(みたままつり)」を、
「戦没者追悼式」とし、
4月20日に行っていた「慰霊祭」を、
11月に行う「戦没者追悼式」に、
それぞれ変更。
瑞浪市では現在、年2回、
「戦没者追悼式」が開かれている。
11月の戦没者追悼式としては、
今年で6回目。
慰霊碑には、
日露戦争から太平洋戦争に掛けて、
瑞浪市から出征し、犠牲になった、
1134人が、祭られている。






戦没者追悼式には、水野光二市長をはじめ、
山田実三県議や、熊谷隆男市議会議長、
自治会役員ら、約110人が列席。
黙とうをささげ、献花した。



4歳の時に、38歳だった父親を、
フィリピンのマニラで亡くした、
小栗基春会長(釜戸町、75歳)は、
「近年は、会員が高齢化したため、
式に出席できない人や、退会などにより、
会員数が減少してしまった。
戦没者追悼式の開催が、困難になったが、
瑞浪市のご配慮により、
式典が行われることになった。
水野光二市長をはじめ、関係者の方々に、
感謝を申し上げたい。
異国の地で、尊い命をささげられた、
戦没者の御霊(みたま)も、
安堵(あんど)されていると思う。
今なお諸外国で続いている戦争の絶滅と、
平和な世がいつまでも続くことを願うとともに、
御霊の御冥福(ごめいふく)を祈ります」と、
哀悼の意を表した。



