2019年09月05日 (14:34)
土岐光衡の銅像が瑞浪市に完成【美濃源氏フォーラムが制作】
美濃源氏フォーラム(井澤康樹理事長)は、
岐阜県瑞浪市土岐町の一日市場八幡神社
(ひといちば・加納富雄氏子総代長)の境内に、
土岐一族の始祖で、鎌倉幕府の御家人、
源土岐三郎光衡(土岐光衡・みつひら)の胸像
(ブロンズ製)を制作・設置した。
「鎌倉幕府御家人源土岐三郎光衡公銅像
除幕入魂式」を開き、銅像の制作者や、
制作費の寄付者、土岐一族の子孫、
地元関係者ら約50人で、完成を祝った。






土岐光衡(源光衡・1159~1206)は、
鎌倉幕府の御家人として、土岐郡(当時)を支配し、
一日市場館(神戸館)で、執政を行ったという。
そのため、岐阜県瑞浪市土岐町一日市場地区が、
土岐氏発祥の地と言われている。






美濃源氏土岐一族に関する歴史講座を開いている、
美濃源氏フォーラムでは、戦国時代の武将、
明智光秀(生誕不詳~1582)を主人公にした、
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」《きりんがくる・
令和2(2020)年1月から放送開始》にちなみ、
土岐光衡と明智光秀とのつながりや、
明智光秀が用いたという家紋「桔梗紋」
(ききょうもん)の由来を明らかにするとともに、
「光秀は土岐明智氏の末裔(まつえい)」、
「土岐一族の明智光秀」ということを、
全国に発信するため、銅像の設置を企画した。
今年、平成31(2019)年3月11日から、
制作・設置に伴う寄付を募ってきた。






一日市場八幡神社には、
「瑞浪明智光秀公顕彰会」が、
平成18(2006)年に設置した、
明智光秀の胸像(石像)がある。
今回の土岐光衡の胸像(ブロンズ像)は、
明智光秀の胸像の台座を引き延ばし、
光秀像よりも、やや後方の横に設置した。






土岐光衡像は、
造形家の桐井雅康さん(瑞浪市土岐町)が、
粘土で原型「塑像」(そぞう)を制作し、
ブロンズ作家の寺澤啓治さん(愛知県犬山市)が、
ブロンズ像に仕上げた。
台座(御影石)は、明智光秀像を制作した、
株式会社渡辺石材(瑞浪市日吉町)の
渡邉政百代表取締役(まさお)が手掛けた。
土岐光衡像は、胸像の高さは105センチで、
台座の高さは115センチ。
桔梗の花を兜(かぶと)に挿し、
戦勝祈願する様子を表している。






また、同じ境内にあったが、場所が離れていた、
「明智光秀公ゆかりの地」と彫られた石柱を、
土岐光衡・明智光秀の胸像の側(そば)に移した。
さらに、「明智光秀の出生地は一日市場」といった、
不明・不確かな記述があった、境内の石碑は撤去。
あらたに、ステンレス製の解説板を設置する予定で、
光衡・光秀・桔梗紋に関する説明文だけではなく、
寄付者の名前も記す。



美濃源氏フォーラムの井澤康樹理事長は、
「全国にいる土岐氏や明智家の子孫も、
先祖を供養しようと、快く寄付してくれた。
これまでは、明智光秀の像だけだったが、
土岐光衡の像もそろったことで、
光秀と瑞浪市との歴史的なかかわりが、
説明しやすくなった。
今後は、解説板の設置だけではなく、
大河ドラマ館の『ミニ版』の開設や、
歴史ガイドの養成などにも努め、
ハード・ソフトの両面から、
盛り上げていきたい」と語った。
なお、現在、総事業費500万円のうち、
寄付者約150人から、448万円が集まった。
解説板の設置に向けて、引き続き、寄付を募る。
問い合わせは、美濃源氏フォーラム事務局
(TEL0572─68─3143)まで。
ちなみに、「明智氏一族宮城家相伝系図書」
(東京大学史料編纂所データベース)によると、
土岐光衡は、
久安4(1148)年5月4日生まれ、
建永元(1206)年3月20日死去とある。
※建永は元久3年4月27日
(1206年6月5日)に改元。
明智光秀は、
享禄元(1528)年8月17日生まれ、
天正10(1582)年6月13日死去とある。
※享禄は大永8年8月20日
(1528年9月3日)に改元。
岐阜県瑞浪市土岐町の一日市場八幡神社
(ひといちば・加納富雄氏子総代長)の境内に、
土岐一族の始祖で、鎌倉幕府の御家人、
源土岐三郎光衡(土岐光衡・みつひら)の胸像
(ブロンズ製)を制作・設置した。
「鎌倉幕府御家人源土岐三郎光衡公銅像
除幕入魂式」を開き、銅像の制作者や、
制作費の寄付者、土岐一族の子孫、
地元関係者ら約50人で、完成を祝った。






土岐光衡(源光衡・1159~1206)は、
鎌倉幕府の御家人として、土岐郡(当時)を支配し、
一日市場館(神戸館)で、執政を行ったという。
そのため、岐阜県瑞浪市土岐町一日市場地区が、
土岐氏発祥の地と言われている。






美濃源氏土岐一族に関する歴史講座を開いている、
美濃源氏フォーラムでは、戦国時代の武将、
明智光秀(生誕不詳~1582)を主人公にした、
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」《きりんがくる・
令和2(2020)年1月から放送開始》にちなみ、
土岐光衡と明智光秀とのつながりや、
明智光秀が用いたという家紋「桔梗紋」
(ききょうもん)の由来を明らかにするとともに、
「光秀は土岐明智氏の末裔(まつえい)」、
「土岐一族の明智光秀」ということを、
全国に発信するため、銅像の設置を企画した。
今年、平成31(2019)年3月11日から、
制作・設置に伴う寄付を募ってきた。






一日市場八幡神社には、
「瑞浪明智光秀公顕彰会」が、
平成18(2006)年に設置した、
明智光秀の胸像(石像)がある。
今回の土岐光衡の胸像(ブロンズ像)は、
明智光秀の胸像の台座を引き延ばし、
光秀像よりも、やや後方の横に設置した。






土岐光衡像は、
造形家の桐井雅康さん(瑞浪市土岐町)が、
粘土で原型「塑像」(そぞう)を制作し、
ブロンズ作家の寺澤啓治さん(愛知県犬山市)が、
ブロンズ像に仕上げた。
台座(御影石)は、明智光秀像を制作した、
株式会社渡辺石材(瑞浪市日吉町)の
渡邉政百代表取締役(まさお)が手掛けた。
土岐光衡像は、胸像の高さは105センチで、
台座の高さは115センチ。
桔梗の花を兜(かぶと)に挿し、
戦勝祈願する様子を表している。






また、同じ境内にあったが、場所が離れていた、
「明智光秀公ゆかりの地」と彫られた石柱を、
土岐光衡・明智光秀の胸像の側(そば)に移した。
さらに、「明智光秀の出生地は一日市場」といった、
不明・不確かな記述があった、境内の石碑は撤去。
あらたに、ステンレス製の解説板を設置する予定で、
光衡・光秀・桔梗紋に関する説明文だけではなく、
寄付者の名前も記す。



美濃源氏フォーラムの井澤康樹理事長は、
「全国にいる土岐氏や明智家の子孫も、
先祖を供養しようと、快く寄付してくれた。
これまでは、明智光秀の像だけだったが、
土岐光衡の像もそろったことで、
光秀と瑞浪市との歴史的なかかわりが、
説明しやすくなった。
今後は、解説板の設置だけではなく、
大河ドラマ館の『ミニ版』の開設や、
歴史ガイドの養成などにも努め、
ハード・ソフトの両面から、
盛り上げていきたい」と語った。
なお、現在、総事業費500万円のうち、
寄付者約150人から、448万円が集まった。
解説板の設置に向けて、引き続き、寄付を募る。
問い合わせは、美濃源氏フォーラム事務局
(TEL0572─68─3143)まで。
ちなみに、「明智氏一族宮城家相伝系図書」
(東京大学史料編纂所データベース)によると、
土岐光衡は、
久安4(1148)年5月4日生まれ、
建永元(1206)年3月20日死去とある。
※建永は元久3年4月27日
(1206年6月5日)に改元。
明智光秀は、
享禄元(1528)年8月17日生まれ、
天正10(1582)年6月13日死去とある。
※享禄は大永8年8月20日
(1528年9月3日)に改元。
