2020年08月15日 (14:43)
瑞浪市遺族連合会が戦没者追悼式【75回目の終戦記念日】
75回目の終戦記念日を迎えた本日、
瑞浪市遺族連合会(小栗基春会長)は、
瑞浪市市民福祉センター「ハートピア」(樽上町)で、
戦没者追悼式を開いた。
水野光二市長をはじめ、成瀬徳夫市議会議長や、
瑞浪市連合自治会の成重隆志会長、
瑞浪市遺族連合会の役員ら、約20人が参列した。



瑞浪市遺族連合会は、昭和29(1954)年に発足。
昭和43(1968)年から、4月20日に「慰霊祭」を、
8月15日の終戦記念日には「神霊祭」(みたままつり)を、
それぞれ行っていた。
平成23(2011)年からは、
4月20日の「慰霊祭」は11月に行う「戦没者追悼式」に、
8月15日の「神霊祭」は同日に行う「戦没者追悼式」に、
それぞれ変更。
そのため、瑞浪市では年2回、
「戦没者追悼式」が開かれており、
8月の戦没者追悼式は瑞浪市遺族連合会が、
11月の戦没者追悼式は瑞浪市が、それぞれ主催している。
なお、今年の瑞浪市が主催する戦没者追悼式(10回目)は、
11月8日(日曜日)を予定している。



かつて、ハートピアの敷地内には、護国神社があったが、
社殿を撤去し、「慰霊碑」を建立。
平成23(2011)年6月24日に「除幕式」を開いた。
慰霊碑には、日露戦争から太平洋戦争にかけて、
瑞浪市から出征し、犠牲になった、1134人が祭られている。



本日は最初に、瑞浪市遺族連合会の役員が、
瑞浪市内11カ所の英霊塔を巡拝。
ハートピアに戻ってくると、施設内から、
慰霊碑に向かって、遙拝(ようはい)した。
正午には、黙とうをささげ、献花した。



4歳の時に、38歳だった父親を、
フィリピンのマニラで亡くした小栗基春会長
(瑞浪市釜戸町・79歳・おぐりもとはる)は、
「近年は、会員の高齢化などにより、
会員数が大幅に減少してしまった。
そんな中、戦没者追悼式については瑞浪市が、
英霊塔の清掃については各地元の自治会が、
それぞれ協力してくれており、本当に感謝している。
戦後75年だが、この後100年にもなれば、
もはや歴史の1つになってしまうだろう。
戦争の悲惨さと平和の尊さを、後世に伝えるには、
右とか左とかは抜きにして、学校教育の中で、
しっかりと教えていくしかないと思う」と語った。



瑞浪市遺族連合会(小栗基春会長)は、
瑞浪市市民福祉センター「ハートピア」(樽上町)で、
戦没者追悼式を開いた。
水野光二市長をはじめ、成瀬徳夫市議会議長や、
瑞浪市連合自治会の成重隆志会長、
瑞浪市遺族連合会の役員ら、約20人が参列した。



瑞浪市遺族連合会は、昭和29(1954)年に発足。
昭和43(1968)年から、4月20日に「慰霊祭」を、
8月15日の終戦記念日には「神霊祭」(みたままつり)を、
それぞれ行っていた。
平成23(2011)年からは、
4月20日の「慰霊祭」は11月に行う「戦没者追悼式」に、
8月15日の「神霊祭」は同日に行う「戦没者追悼式」に、
それぞれ変更。
そのため、瑞浪市では年2回、
「戦没者追悼式」が開かれており、
8月の戦没者追悼式は瑞浪市遺族連合会が、
11月の戦没者追悼式は瑞浪市が、それぞれ主催している。
なお、今年の瑞浪市が主催する戦没者追悼式(10回目)は、
11月8日(日曜日)を予定している。



かつて、ハートピアの敷地内には、護国神社があったが、
社殿を撤去し、「慰霊碑」を建立。
平成23(2011)年6月24日に「除幕式」を開いた。
慰霊碑には、日露戦争から太平洋戦争にかけて、
瑞浪市から出征し、犠牲になった、1134人が祭られている。



本日は最初に、瑞浪市遺族連合会の役員が、
瑞浪市内11カ所の英霊塔を巡拝。
ハートピアに戻ってくると、施設内から、
慰霊碑に向かって、遙拝(ようはい)した。
正午には、黙とうをささげ、献花した。



4歳の時に、38歳だった父親を、
フィリピンのマニラで亡くした小栗基春会長
(瑞浪市釜戸町・79歳・おぐりもとはる)は、
「近年は、会員の高齢化などにより、
会員数が大幅に減少してしまった。
そんな中、戦没者追悼式については瑞浪市が、
英霊塔の清掃については各地元の自治会が、
それぞれ協力してくれており、本当に感謝している。
戦後75年だが、この後100年にもなれば、
もはや歴史の1つになってしまうだろう。
戦争の悲惨さと平和の尊さを、後世に伝えるには、
右とか左とかは抜きにして、学校教育の中で、
しっかりと教えていくしかないと思う」と語った。



