2020年12月14日 (21:24)

美濃源氏フォーラムが明白寺で武田信玄の画像を発見

美濃源氏フォーラム(井澤康樹理事長)は、
黄檗宗(おうばくしゅう)の佛日山・明白寺
《瑞浪市明世町山野内・和田善敞住職
(90歳・わだぜんしょう・第21代)》から、
戦国時代の武将・武田信玄の画像(絹本著色図)
「法性院大僧正信玄公之像」が、
見付かったと発表した。
12月26日(土曜日)に、
土岐市文化プラザ(土岐津町土岐口)で開く、
明智光秀シンポジウムin土岐市」の会場で、
展示・初披露する。
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明白寺の前身は「明白庵」。
南北朝時代の正平15/延文5(1360)年ごろ、
夢窓疎石(夢窓国師)の法嗣(弟子)、
先覚周怙(せんかくしゅうこ)が開山したとされる。
開基については、
土岐頼貞(初代美濃守護)の子「土岐頼基」か、
頼基の子「土岐頼重」「土岐頼高」「土岐頼助」の
3兄弟のうち、次男「頼高」もしくは三男「頼助」
とも言われている。
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戦国時代の元亀3(1572)年には、
織田信長と武田信玄が戦う中、武田軍によって、
東濃の寺院は焼かれ、明白庵も焼失したという。
その後、武田信玄の玄孫(やしゃご)、
雲峰元冲和尚(うんぽうげんちゅう・1647─1711・
※元沖ではなく「にすい」元冲)が、
行脚の途中に立ち寄った際、先祖の行為を知り、
罪滅ぼしとして、明白庵の復興を発願(ほつがん)。
江戸時代の元禄元(1688)年に、
「明白寺」として、再建したと伝わっている。
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シンポジウムについての問い合わせは、
美濃源氏フォーラム
(TEL0572─68─3143)または、
井澤康樹理事長
(TEL090─5108─8374)まで。
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