2021年03月13日 (12:24)

窯どこが駄知町の大名街道に郷の宮陶壁を設置【2作目の陶板】

NPO法人窯どこ(加藤賢治理事長)は、
土岐市駄知町の八王子神社の前を通る、
通称「大名街道」をPRしようと、
陶板「郷の宮陶壁」を設置。
関係者約20人が集まり、除幕式を開いた。
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04TN1_6262.jpg05TN1_6269.jpg06TN1_6271.jpg
窯どこは平成18(2006)年1月11日に設立。
会員は駄知町民を中心に約20人で、
地元の陶磁器産業や観光名所のPR活動などを行い、
まちづくりや地域の活性化に貢献している。
駄知町は、江戸時代は岩村藩の領地であり、
同じく岩村藩領だった、
土岐市鶴里町柿野と恵那市武並町竹折を結ぶ道が、
駄知町内を走っていたとされるため、
その道を「大名街道」と呼んでいる。
窯どこでは、平成20(2008)年度にも、
駄知町内を流れる不動川沿いの大名街道
(不動大瀧神社の近く)に、「不動の滝陶壁」
(絵付け=故・安藤實氏)を設置しており、
大名街道をPRする陶板としては、今回で2作目。
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10TN1_6316.jpg11TN1_6324.jpg12TN1_6330.jpg
今回の「郷の宮(ごうのみや)陶壁」の名称は、
郷地区にある八王子神社を、地元住民らが、
「郷の宮」と呼んでいることに由来。
陶板の制作は宗山窯(駄知町)が、
ステンレス製の枠の制作は光工業(駄知町)が、
土台の制作は正村工建(駄知町)が、
それぞれ担当・協力した。
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16TN1_6356.jpg17TN1_6363.jpg18TN1_6418.jpg
陶板の絵は、芳州窯(駄知町)の染め付け絵師、
柳河瀬一人さん(作家名=和田一人・ひとり・
68歳)が、呉須の染め付けで描いた。
30センチ四方の陶板を、縦5枚・横8枚で組み、
八王子神社(郷の宮)前の大名街道を練り歩く、
江戸時代の参勤交代の様子「大名行列」を表現。
煙が上がる登り窯2基もイメージし、加えた。
制作期間は4カ月で、総事業費は約200万円。
土岐市のまちづくり支援事業費補助金を受けた。
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22TN1_6425.jpg23TN1_6287.jpg24TN1_6410.jpg
窯どこの加藤賢治理事長(70歳・藤山窯)は、
「駄知町にはかつて、多くの染め付け絵師がいたが、
ほとんどいなくなり、技術が途絶えつつある。
そんな中、和田一人さんに描いてもらえたことは、
50年先・100年先の人たちが、この陶板を見た時、
技術力の高さにきっと驚くと思う。
第1弾として、不動の滝陶壁を設置したが、
今回、郷の宮陶壁も設置できたことで、
PRする上で、『点を線にする』ことができた。
今後は『線を面にする』ため、さらに活動を広げ、
大名街道の発信力を、強化していきたい」と語った。
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28TN1_6452.jpg29TN1_6439.jpg30TN1_6455.jpg
【以下、岩村町史(全)より抜粋&補足】
「大名街道」と称する脇街道があった。
道筋は、岩村塔ケ根を越え、(中略)竹折に出て、
下街道土岐より、駄知・曽木・柿野に出て、
三国山を越え、三河の挙母(ころも)に出て、
岡崎で、東海道に合流するというもの。
この道筋は、山を越え、
遠く迂回(うかい)をしながら三河に入るため、
地形や距離を無視しているように思えるが、
岩村領内のみの通過で、三河口に出られる。
他領を通過するための面倒な手続きが、
不要だったため、この道が利用された。
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